律法の支配と呪いから救われるために

ガラテヤ 4:1-7 & 3:6-15

 
 
 
 
 

イエスの降誕!これほど知られているのに、これほど理解されていないことも少ないことでしょう。本当のクリスマスが、キリスト教文化と伝統と習慣の下で埋もれてしまっているのです。ですから、わたしたちは本物のクリスマスを掘り起こさなければなりません。ルカは福音書で、イエスの誕生の前後を歴史的にその事実を書き記していますが、パウロは、イエスの降誕をその意味と目的を書き記しています。その中でも、イエスの降誕の目的について極めて大切なことがガラテヤ書の3章と4章に記されています。


    「しかし、時の満に及んで、神は御子を女から生まれさせ、律法の下に生まれ

させて、おつかわしになった。それは、律法の下にある者をあがない出すため、

わたしたちに子たる身分を授けるためであった」(4: 4-5)


わたしたちが母から生まれたとき、物理的には引力の法則の下に存在しはじめました。引力の法則の支配を受けるか否か、その選択権はありません。生まれた時、いや母の胎に宿ったとき、すでに引力の法則の支配の下にいたのです。


同様に、母から生まれたとき、霊的には律法の下に存在しはじめました。律法の法則を受けるか否か、その選択権はありません。生まれた時、いや母の胎に宿ったとき、すでに律法の法則の支配の下にいたのです。わたしたちすべての者は、律法の下に、その支配の下に生まれたのです。


ここで言っている律法とは、“一般に受け入れられ、認められている慣習や習慣”といったものが、時と共にひとつのしきたりとなり、いつのまにかひとつの型にはめられて、日常生活の慣例なり、ついに守らなければならなくなった規則のようなものではありません。


律法とは、聖書全体にわたって啓示されている神の律法のことであって、そこには義と愛に満ちた聖なる神の性格が反映しています。まとまった形で示されているのが、シナイ山でモーセに与えられた十戒です。律法とは、神様が人間に与えられた“人の道”としての正道、本質、本源,根本、素因、基準、標準、尺度、定石、法則、公理、原理、信条、規範、規格、標識、原則なのです。ですからパウロが言っているように、「律法そのものは聖なるものであり、戒めも聖であって、正しく、かつ善なるもので」(ローマ7:12)あり、また「律法は霊的なもの」(ローマ7:14)なのです。

 

律法は、神の心の反映、清く正しく生きる人の道ですが、律法には一つの限界があります。律法は要求するだけで、助けてくれません。それだけではありません。「律法の書に書いてあるいっさいのことを守らず、これを行わない者は、皆のろわれる」(ガラテヤ3:10b)のです。事実、「律法の行いによる者は、皆のろいの下にある」(ガラテヤ3:10a)のです。イエスはわれわれと同じように律法のもとに生まれて、いっさいの律法を実力で守り抜きました。しかし “木にかけられ”(ガラテヤ3:13)呪いを受けられたのです。律法の支配下にある私たちを解放し、神の家族の子供に招き入れるために。“あがない出す”とは、そういうことです。


日語部牧師

岩渕 宏安

2006年12月24日 〜 アドベント (待降節) 〜

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