キリスト者と復讐心

マタイ 5:38-39

 
 
 
 
 

「目には目を、歯には歯を」という旧約聖書の言葉は、モーセがイスラエルの民に語ったもので、出エジプト21章24節、レビ記24章20節、申命記19章21節に見られます。どうしてこのように命じたのでしょうか。姦淫、離婚、誓いと同じように、モーセは過度な行き過ぎにブレーキをかけるためです。つまり「目には目を、歯には歯を」という規定によって、仕返し、復讐、暴力、怒り等々を制限することでした。

 

このことは、数千年前のイスラエルの人々だけでなく、今の私たちの世界で毎日起っていることです。パレスチナで繰り返されている報復、イラクで頻繁になされている復讐を見るときに、改めてこの律法の必要性を強く感じるものです。日々のテレビニュースを見る度に、危害を加えられた者が、即座に打ち返す生まれつきの性質をいやと言う程見せつけられます。ちょっと受けたかすり傷をもって、致命的な傷を負わせることもあり、時には相手を殺すこともあり得るのです。愛し合う者の間にも、夫婦の間にも、いや幼児の間でさえもすでに、この復讐心が人間の本質の奥深くに存在しているのです。ですからこのモーセの律法が与えている公平、平等という精神が、どんなにかわたしたちに必要かおわかりでしょう。誰かが人の目をつぶしたら、加害者が殺されることがあってはならないのです。「目には目を」、「歯には歯を」なのです。刑罰は、犯される罪と均衡を保つべきであって、それを越えてはなりません。

 

パリサイ人,律法学者は、いつものようにこの律法を、私的に自分たちに都合がいいように適用しました。「目には目を、歯には歯を」という律法の精神をくまないで、典型的な律法主義によって、そうすることは自分たちの権利、いや義務であるとさえ考え、実行したのです。それによって、この消極的命令を積極的命令に変形させてしまいました。それに対して、主イエスはこう言われたのです。


    「しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかが

あなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい」(マタイ5:39)

 

この言葉ぐらい誤解され誤用された言葉は、聖書の中にあるでしょうか。では主はどんな状況においても、悪に立ち向かうなと言っておられるのでしょうか。警察も裁判も必要がないと言っているのでしょうか。そうではありません。この教えは、国家やこの世に語られたのでなく、神の国(支配)の中にいるキリスト者である私たちの生き方を語っています。ここで主は、自分に向かってなされた不正や不義に、復讐したいという欲求を取り除くことを教えておられるのです。私たちは、個人的に傷つけられ侮辱されても報復すことから解放されていなければなりません。


日語部牧師

岩渕 宏安

2006年11月19日 〜 キリストの山上の説教 〜

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