2. 神論
1) 神の存在

2. 神論
1) 神の存在

2. 神論ー1) 神の存在
2007年8月19日
質問:神が存在することを、どのように知ることが出来るのでしょうか。
その答の一つは、すべての人が神を知る認識力をもっているということです。さらに、自然と聖書と伝統とキリストによってです。
A. 人間の内には、本能的に神を知る認識力を備わっています。
「神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信心と不義とに
対して、天から啓示される。なぜなら、神について知りうる事がらは、彼らには明
らかであり、神がそれを彼らに明らかにされたのである。神の見えない性質、すな
わち、神の永遠と力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて
明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。なぜな
ら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思
いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。彼らは自ら知者と称し
ながら、愚かになり、不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの
像に似せたのである」(ローマ1:18-23)
参照聖句:詩篇10:4-; 14:1; 53:1
B. 自然をとうして、神の存在を知ることが出来ます。
「もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす」(詩篇19:1)
1) 自然は、神の栄光、すなわち神ご自身の性質をあらわしています。
2) 自然は、神の創造の業です。自然の神秘さ、遠大さ、壮大さ、美しさは、作者の神
性の表現です。
使徒パウロは、自然によってご自身を啓示していると語ります。
「神は過ぎ去った時代には、すべての国々の人が、それぞれの道を行くままにしてお
かれたが、それでも、ご自分のことをあかししないでおられたわけでない。すなわ
ち、あなたがたのために天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、
あなたがたの心を満たすなど、いろいろのめぐみをお与えになっているのである」
(使徒行伝14:16-17)
C. 聖書によって、神ご自身を知ることが出来ます。
聖書は、神の存在を証明しようとしていません。聖書のはじめから、
「はじめに神は天と地とを創造された」(創世記1:1)
神の存在は、自明で明白のこと、証明の必要のないことを、聖書の最初の頁から書き記します。神の存在は、あらゆる真理の大前提、公理、原理です。
この「はじめ」は、時間の“始め”であって、神は“物”と同時に“時間”も創造しました。
つまり神は、時間の外におられる永遠者です。
ヨハネによる福音書1: 1 – 5を参照して、創世記の“始め”とヨハネの“初め”とを、比較してください。
D. 伝統的に、人々は神の存在を種々の面から論証していました。
1) 宇宙論的証明
2) 目的論的証明
3) 存在論的証明
4) 道徳論的証明
E. クリスチャンは、イエスキリストをとうして、神を父として知り始めます。聖霊は、その心のうちに。神の子である証しを生み出してくれます。
参照聖句:ローマ8:15, 16; エペソ3:17; ピリピ3:8; コロサイ1:27; ヨハネ14:6
* * *
<暗唱聖句>
「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしに
よらないでは、父のみもとに行くことはできない」(ヨハネ14:6)
日語部牧師
岩渕 宏安