福谷 (うきがい)城跡

 
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愛知県西加茂郡三好町福谷字市場

 愛知県の城と聞いて何城を思い浮かべますか?名古屋城や犬山城,岡崎城を思い浮かべた人が多いのではないでしょうか。しかし、これらの有名な城以外にも愛知県の各地には城や城跡が存在し、三好町にもいくつかの城跡が残っています。ここでは愛知大学から歩いて15分程度の最も近い城跡,福谷城跡を取り上げます。

 福谷城は、戦国時代 (15世紀後半-16世紀後半)在地の領主の原田氏によって築城されたと考えられています。また、城主に在地の領主原田氏重や酒井忠次の名前も記録されています。酒井忠次は徳川家康が若い時から支えた優秀な部下である徳川四天王の筆頭として知られています。

 戦国時代、尾張は織田氏、三河は松平氏(後の徳川氏で、今川氏に従属していた)が治めており、織田氏と今川氏は対立関係にあったのです。福谷城は尾張と三河の境界線付近に位置しており、今川側の最前基地の役割を果たしていたため、軍事上極めて重要な城であったと考えられます。実際に弘治・永禄年間(1555~1570)に城主の酒井忠次が守る今川(松平)方と攻める織田方の柴田勝家との攻防があり、今川方が防戦したことが「東照軍艦」「家忠日記増補追加」などに伝えられています。

 1560年に桶狭間の戦いで織田氏が今川氏に勝利すると三河を治めていた松平氏が今川氏の支配から独立し、織田氏と同盟を結びます。この同盟によって、尾張と三河の境界線付近の緊張が解かれました。そして福谷城は最前線を守るという役目を終え、廃城になったと考えられます。

 実際に福谷城跡を訪れてみました。丘の上に位置しており、たどり着くまでの坂は,原付で何とか登れるくらいの急勾配でした。やはり地の利を生かして、攻められにくく、守りやすい場所に造られているのだと感じました。城跡にたどり着くともちろん城は残っていませんでしたが、隣に保育園があり、保育園への通路 (右下の写真)が堀跡となっていて当時の面影が残っていました。


<参考文献>

三好町誌 第1巻(1962) 加藤弥一郎編纂 三好町誌編纂委員会

三好町誌 第2巻(1978) 深谷弥蔵編纂 三好町誌編纂委員会  

三好町誌 第3巻(1998) 黒笹区誌(2004) 黒笹区誌編纂委員会 三好ヶ丘第三特定土地区画整理組合 

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